松原みき:シティ・ポップの象徴とその軌跡

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日本の音楽シーンにおいて、松原みきはシティ・ポップの象徴として今なお輝き続ける存在です。彼女の代表曲「真夜中のドア〜Stay With Me」は、1979年のリリースから40年以上経った今でも国内外で愛され続けています。今回は、そんな松原みきの生涯と彼女の音楽の魅力、さらには再評価の波について振り返ります。

幼少期と音楽の目覚め

1959年、大阪府岸和田市に生まれた松原みき。彼女の音楽的な素養は、幼少期から培われていました。母親がジャズ歌手だったこともあり、自然と音楽に囲まれた環境で育ちます。3歳からピアノを学び始め、ジャズへの興味を深める一方で、中学・高校時代にはロックバンドに参加し、キーボードを担当しました。

高校3年生で上京し、文化女子大学附属杉並高等学校へ転入。米軍キャンプや六本木のジャズスポット「バードランド」での演奏を重ねる中、彼女の才能は世良譲らジャズ界の著名人に認められることになります。

デビューと「真夜中のドア〜Stay With Me」

1979年11月5日、シングル「真夜中のドア〜Stay With Me」で鮮烈なデビューを飾った松原みき。当時のオリコンチャートでは最高28位と決して爆発的ヒットとは言えませんでしたが、洗練されたメロディと彼女の透明感あふれる歌声は多くのファンを魅了しました。

「真夜中のドア〜Stay With Me」は、都会の夜を背景に描かれる恋愛の情景を描いた一曲。都会的なサウンドと哀愁漂う歌詞が、シティ・ポップというジャンルを象徴する楽曲として位置付けられています。

作曲家としての活躍

1990年代に入ると、松原みきは歌手としての活動を休止。代わりに作曲家としての道を歩み始めました。特に印象的なのは、國府田マリ子の「雨のちスペシャル」。NHKの「みんなのうた」で放送され、多くの視聴者に親しまれました。

また、彼女はアニメやCMの楽曲制作にも精力的に取り組みました。アニメ「Gu-Guガンモ」の主題歌を「スージー・松原」名義で歌ったことも、その活動の一環です。

病と闘った晩年

2001年、松原みきはがんの診断を受け、音楽活動を完全に休止。闘病生活を送りながらも、音楽への情熱を失うことはありませんでした。しかし、2004年10月7日、44歳の若さで惜しまれつつこの世を去りました。

世界で再評価される「真夜中のドア〜Stay With Me」

彼女の死後、シティ・ポップは海外で再評価されるようになりました。特に2020年には、インドネシアのYouTuber・Rainychがカバーしたことをきっかけに、世界中で「真夜中のドア〜Stay With Me」が注目を集めました。Spotifyのグローバルバイラルチャートでは18日連続で1位を記録し、再び脚光を浴びることに。

さらに、2024年にはパリパラリンピックの車いすテニス決勝戦後、スタッド・ローラン・ギャロスのセンターコートでこの楽曲が流されました。男子の小田凱人、女子の上地結衣が優勝を飾る中、松原みきの歌声は世界中の人々の心に響いたのです。

松原みきの遺したもの

松原みきは、シティ・ポップというジャンルを代表するアーティストとして、今も音楽ファンの心に生き続けています。「真夜中のドア〜Stay With Me」が象徴するように、彼女の楽曲は時代を超えて愛される普遍的な魅力を持っています。

これからも彼女の歌声は、世界中のリスナーの夜を優しく彩り続けるでしょう。

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