東八郎

この記事は約3分で読めます。

東八郎(あずま はちろう、本名:飛田義一)は、昭和を代表するコメディアンであり、タレントとして数多くの人々に笑いを届けた人物です。そのユニークな芸風と親しみやすいキャラクターで、テレビ、映画、舞台などさまざまなメディアで活躍し、昭和のコメディ界に大きな足跡を残しました。

プロフィール

• 名前: 東八郎(あずま はちろう)

• 本名: 飛田 義一(ひだ ぎいち)

• 生年月日: 1936年5月31日

• 没年月日: 1988年7月6日(52歳没)

• 出身地: 東京都台東区浅草

• 活動時期: 1952年 – 1988年

東八郎は、浅草の東洋劇場にてコメディアンとしてのキャリアをスタートさせ、やがてテレビの台頭により、その名を広めました。特に「トリオ・スカイライン」でのコントや、NHKの『お笑いオンステージ』などでの活躍が光ります。

芸歴と主な活動

若き日のスタートと浅草時代

東八郎は、浅草フランス座での舞台活動を経て、コメディアンとしての道を歩み始めました。彼は、浅草の劇場で関敬六や長門勇、渥美清といった後の大物コメディアンたちと共に出演し、腕を磨いました。その後、池信一や東八郎、石田映二の「丁稚トリオ」を結成し、さらには萩本欽一とも知り合います。

トリオ・スカイライン

1964年、東は小島三児、原田健二と共に「トリオ・スカイライン」を結成し、コントを披露しながらテレビに登場。これが転機となり、彼は全国的に知名度を上げました。しかし、1971年にトリオ・スカイラインは解散し、その後は単独で活動を開始します。

テレビ番組と映画での成功

その後、東は『お笑いオンステージ』などに出演し、コメディアンとしての地位を確立。晩年には『志村けんのバカ殿様』で家老役を務め、視聴者に強い印象を与えました。また、歌手活動にも手を広げ、1981年には『娘へのバラード』という歌を発表、結婚式でよく歌われる曲として今でも親しまれています。

「笑塾」開校と後進の育成

1986年には芸能人養成のため「笑塾」を開き、若手コメディアンの育成にも力を入れました。この塾からは、桂米多朗やぴろきなどのタレントが巣立っていきました。

晩年と死去

東八郎は晩年、糖尿病を患いながらも精力的に舞台に立ち続けました。1988年には新宿コマ劇場での舞台公演が最後の出演となり、その数ヶ月後、突然脳溢血で倒れ、わずか52歳の若さで急逝しました。

彼の死後、家族や多くの仲間たちはその早すぎる死を惜しみ、また、東八郎が最後までコメディの世界に全力を尽くしていた姿に感銘を受けました。

家族と後継者たち

東八郎は、妻との間に3男2女をもうけ、次男の東貴博はお笑いコンビ「Take2」のメンバーとして活躍しています。また、三男の東朋宏もタレントとして活動しており、東の遺産を引き継いでいます。次男の妻はタレントの安めぐみであり、東の死去から23年後に結婚したため、生前には面識がなかったものの、東の家族との関係は深く続いています。

持ちネタと影響

東八郎の持ちネタである「頑張れ、強いぞ、僕らのなまか〜」は、アニメ『赤胴鈴之助』のテーマ曲の替え歌で、視聴者に親しまれました。この「なまか」は後に香取慎吾が演じた孫悟空の口癖にもなり、東八郎の影響が続いていることを示しています。

出演番組と映画

テレビ番組

• 『お笑いオンステージ』(NHK)

• 『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ)

• 『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』(テレビ朝日)

• 『オールスター家族対抗歌合戦』(フジテレビ)

テレビドラマ:

• 『右門捕物帖』(NET)

• 『火曜日のあいつ』(TBS)

• 『鬼平犯科帳』(テレビ朝日)

映画

• 『超能力だよ全員集合!!』(1974年)

• 『男はつらいよ 寅次郎紙風船』(1981年)

アニメ:

• 『コアラボーイ・コッキィ』(1985年)

CM

• ヨード卵光(日本農産工業)

• アースレッド(アース製薬)

まとめ

東八郎は、昭和のコメディ界において欠かせない存在であり、彼の活動は今も多くの人々に影響を与えています。彼が遺した笑いの世界と教えは、次世代のコメディアンにも受け継がれ、これからも多くの人々を楽しませ続けることでしょう。

人物
懐かしファイルをフォローする