山城新伍

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山城新伍(やましろしんご)は、日本の俳優、タレント、映画監督であり、特に1960年代から2000年代にかけて活躍しました。本名は渡辺安治(わたなべやすじ)で、1938年11月10日に京都府で生まれました。彼は2009年8月12日に東京都町田市で亡くなりました。享年70歳でした。

経歴

  • 初期のキャリア: 山城新伍は、1957年に東映ニューフェイス第4期生として入社し、1958年に映画『台風息子』でデビューしました。1960年にはテレビ時代劇『白馬童子』で主演し、子供たちの人気を集めました。
  • 映画とテレビでの活躍: 彼は東映の任侠映画や時代劇に多く出演し、特に『仁義なき戦い』シリーズでの存在感が際立ちました。1970年代からはテレビのバラエティ番組にも進出し、司会者としても人気を博しました。彼の軽妙な語り口と辛辣なコメントは高く評価され、特に『アイ・アイゲーム』などの番組での活躍が知られています。
  • 監督業: 1980年には映画『ミスターどん兵衛』で監督デビューを果たし、その後も様々な映画を手掛けました。彼の作品は多岐にわたり、ジャンルを問わず多くの映画に出演し、監督としても成功を収めました。

主なCM出演

  • 日清食品「どん兵衛」: 山城新伍は、1976年から約14年間にわたり、川谷拓三と共に「どん兵衛」のCMに出演しました。このCMでは、二人が左手でお箸を持ってどん兵衛を食べる姿が印象的で、特に左利きの人々に勇気を与える内容として評価されました。彼らの軽妙なやり取りとユーモアが視聴者に愛され、長寿CMとして記憶されています。
  • その他のCM: 山城新伍は、他にも多くのCMに出演していますが、特に「どん兵衛」が彼の代表的なCMとして知られています。彼のユーモアと個性を活かしたCMは、視聴者に強い印象を残しました。
  • 映画との関連: 1980年には、彼が監督、脚本、主演を務めた映画『ミスターどん兵衛』が公開され、これも「どん兵衛」のCMの人気を受けた作品です。この映画は、彼のキャラクターを活かした内容で、CMと映画の両方で彼のユーモアが発揮されています。

山城新伍のCMは、彼のキャラクターとユーモアを前面に出したものであり、今でも多くの人々に愛され続けています。彼の存在は、日本の広告文化において重要な役割を果たしました。

私生活

山城新伍は、元女優の花園ひろみと2度結婚し、2度離婚しています。彼の私生活は公にあまり知られていませんが、彼のキャリアと同様に、彼の人間性やユーモアも多くのファンに愛されました。

死因と影響

彼は2008年から健康を害し、咽下困難による肺炎が原因で亡くなりました。彼の死は日本のエンターテインメント界に大きな影響を与え、多くのファンや同業者から惜しまれました。

山城新伍は、昭和から平成にかけての日本のエンターテインメント界において、俳優としてだけでなく、司会者や監督としても多大な影響を与えた人物です。彼の作品やキャラクターは、今もなお多くの人々に記憶されています。

 

人物
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