映画と舞台に生きる俳優・西田敏行の軌跡
幼少期と学生時代:郡山から東京へ

1947年、福島県郡山市に生まれた西田敏行。父が早くに亡くなり、母は美容師として働きながら彼を育てました。5歳のとき、母が再婚すると伯母夫婦のもとで暮らし始め、養父は薩摩藩士の家系で、市役所に勤めていましたが、家族の生活は厳しく、神社の社務所での生活を余儀なくされていました。
幼少期から映画館に通い、スクリーンの世界に魅了された西田は、自分が俳優として活躍する姿を夢見るようになります。中学時代には演劇に興味を持ちましたが、男子が演劇部に所属するのは珍しく、標準語を習得したいという思いが強まります。そして、中学卒業後、東京に進学することを決意しました。
東京での挑戦と俳優デビュー

高校時代、バレーボール部に所属する一方で、演劇部にも顔を出し、徐々に舞台に立つ機会を増やしていきます。1966年、明治大学に入学すると同時に日本演技アカデミーの夜間部に通い始めましたが、大学を中退して昼間部に転籍。その後、仲間と結成した劇団「シアター67」は失敗に終わりましたが、1967年に『渥美清の泣いてたまるか』でテレビ俳優としてデビューしました。
青年座での飛躍と不遇の時代

1968年に青年座俳優養成所に入所し、1970年に座員となると、舞台『情痴』で初舞台を踏みました。翌年の『写楽考』で主役に抜擢されるも、しばらくは厳しい役者生活が続きます。しかし、1976年のドラマ『いごこち満点』と『三男三女婿一匹』での演技が話題を呼び、コメディからシリアスまで幅広い演技が評価されるようになりました。
人気俳優への道:代表作と歌手活動

1977年から『特捜最前線』や『西遊記』などのドラマで注目を集め、1980年には『池中玄太80キロ』で主演を果たしました。主題歌『もしもピアノが弾けたなら』もヒットし、俳優だけでなく歌手としての才能も発揮。NHK紅白歌合戦で司会、歌手、審査員、応援すべての役割を経験し、特異な記録を作りました。
また、バラエティ番組やコントでもその多才ぶりを発揮し、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』などの人気番組に出演しました。
大自然との対峙:映画『植村直己物語』とその後

1986年、映画『植村直己物語』で冒険家・植村直己を演じ、過酷なロケを経験しました。この映画は西田にとって俳優としての転機となり、大自然の中での撮影が彼に多くのインスピレーションを与えました。1988年には映画『敦煌』でも長期のロケを経験し、「極地俳優」として知られるようになります。
長寿シリーズ『釣りバカ日誌』と舞台への挑戦

1988年から始まった『釣りバカ日誌』シリーズでは、三國連太郎と共に約22年にわたりファンを楽しませ、代表作のひとつとなりました。また、1994年にはミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』で3代目テヴィエ役に抜擢され、7年にわたって舞台に立ちました。
支援活動と近年の活動

2011年の東日本大震災では故郷の福島が被害を受けたこともあり、積極的に支援活動を行いました。震災後は頻繁に地元に戻り、復興支援を続けています。2012年には日本喜劇人協会主催の喜劇人大賞を受賞するなど、その功績が再評価されました。
近年では『池中玄太80キロ』で共演した杉田かおると『ドクターX~外科医・大門未知子~』で再共演し、話題を集めています。

